

皆さんの活動をご紹介させていただきます。
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皆さんは、社長になりたいと思ったことありますか?
「なれるわけないから、考えたこともない。」というのが大方の本音ですよね。でも、世の中には何と7回も社長になった人がいるんです。
「久しぶり!相変わらずご活躍のようで」
サッと右手を挙げて待ち合わせ場所のレストランに現れた中野輝雄さん、65歳。ロマンスグレーの白髪がひときわ目立つ、実にカッコイイおじさんです。

■ 会社は社長次第でどうにでも変わる
中野さんの社長人生は、常に「再建」という難題との戦いでした。
昭和32年、商業高校を卒業した中野さんは松下電器に入社。大阪までの汽車賃と学生服だけでは心もとなかろうと、叔母さんが5000円を渡してくれました。そこには「謙虚、健気、けじめでやりなさい」との言葉を添えてありました。
営業マンとして活躍した後 、昭和56年 41歳の若さで、家電販売の子会社の社長に任命されました。叔母さんは「身体は弱いが、性格がよいからお前はよい大人になると思っていたが、まさか社長になるとはねえ」と涙ぐんだそうです。
しかし、課せられた使命は過酷なものでした。系列販売店、「ナショナルショップ」を整理統合せよというのです。ナショナルショップは当時、高度成長が終わり 、安売りを仕掛ける量販店に押されていました。中野さんは、一軒一軒回り、時には土下座をし、時には棚卸しを手伝いながら、店主に統廃合の必要性を訴えました。休みが取れたのは、正月三が日だけというハードな毎日でした。
その努力が実り、業績が上がったところで、今度は別の販売子会社に異動を命じられました。ここでも成果を上げ、いつしか「松下グループの再建屋」と異名を取るようになっていきました。
■ 新規事業こそ50代の経験が生かせる
中野さんは、その後も松下の関連会社を回り、平成10年 松下精工の社長に就任しました。
松下精工は従業員2000人の一部上場企業で、ビルやマンションの空調機器が主力製品でした。しかし、長引く不況でビルの建設件数が落ち込み、待ったなしの対策が迫られていました。
中野さん、ここでユニークな人事改革を編み出します。「50歳フリーエージェント制度」。50歳を迎えた管理職に新規事業の提案を求めました。提案が通ればその事業のリーダーになれますが、提案が通らなければ若手の指導係として後進にポストを退くというものでした。これが成功。空調機器に変わる新しい事業が次々と立ち上がった上に、組織の若返りにも成功したのです。
「新規事業というと若い人の方が向いていると思われるが、必ずしもそうではない。ビジネスの甘いも辛いも知り尽くした50代は、豊富な経験を持ち収益性を慎重に見極める能力を持っています。私の持論は『右手に夢を左手にそろばんを』なんですが、50代はまさにそういう条件を兼ね備えた貴重な戦力なんです。それにデスクに座って定年を待つだけの人生なんて面白くないでしょ」
■ 従業員は一生懸命。結果が悪いのは社長が悪い
このフリーエージェント制度を含めて、中野さんの再建策にはひとつの特徴があります。「従業員の首切り」を一切行わないのです。
「従業員が会社に入ったのはね、たまたま入ったのとは違うんです。その人の人生を会社は丸ごと預かったわけですね。その人の能力を活かせないのはね、その人が悪いんじゃないんです。上司ですよ、あるいはトップが悪い、というふうに考えないとね。余ったら全部はずせばいいんだと、あるいは辞めてもらえばいいんだと考えるのは、非常に無責任ですね。」
正論、まさに正論ですよね。また、それをちゃんと実践して、結果を出すところがスゴい。でも、中野さんは、単なる人情家ではなく、実に巧みな戦略家だと思います。フリーエージェント制度も、定年を待つだけになりがちな50代に「君たちの肩書きを外して現場に戻れ」と上から命令したら、彼らは体の良いリストラと受け止めたに違いありません。あくまでも自分たちにやりたいことを考えさせる。つまり、社員のやる気を最大限に引き出すのが、とても上手なのです。
私が取材したのは、このフリーエージェント制度を発表した直後でした。社長室に通された時、びっくりしました。ドアが開いていて、中野さんが社員から丸見えだったのです。
「ヒソヒソ話が多い会社はダメ。何でもオープンにして風通しをよくすることが大切なんだよ」と、中野さんはおいしそうにタバコをふかしながら話してくれました。その瞬間、「なるほど」と思いました。
世に「改革」を掲げる社長は、数え切れないほどいます。そういう企業を何社も取材しました。皆さん、改革のビジョンは素晴らしいものです。しかし、必ずしも血が通ったものになっていないのが現実ではないでしょうか?
どんな改革も、実行するのはひとりひとりの社員です。どうしたら社員が元気に働いてもらえるのかを徹底的に考える。そこに中野流経営のミソがあると確信したのです。
■ 社長の心得
最後にその人心把握術をご紹介しましょう。
「社員全員の名前を覚えること、エコヒイキしないこと、議論はすべてオープンにすること、いつも現場に顔を出すこと、そして長く社長の座に留まらないことかな。」
一昨年「もう1年早くやめたかった」と言い残して松下精工を退任した中野さん。現在は悠々自適の生活を送っています。
是非、「社長塾」を作って、元気のない大企業の社長にノウハウを教えて欲しいと思ったのは私だけでしょうか?
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