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1万3837件。
これは、去年1年間で倒産した企業の数です。
(帝国データバンク調べ)
日本のどこかで、毎日40社近い企業が「死」を宣告され、その多くが消えていきます。でも皆さん、あきらめてはいけません。従業員たちが立ち上がり、見事に蘇った小さな工場があるんです。
■ 社長らしくない社長
セキテック社は、岐阜県関市の工業団地の一角にあります。事務室のドアを開け、近くに座っていた女性に取材に来た旨を伝えると、「ハイハイ。中村さーん、お客さんですよ!」と、社長を呼ぶにはあまりに軽い調子で、奥に座っている実直そうな人物に声を掛けました。
この方が社長の中村克史さん、57歳。社長室はちゃんとあるのですが、そこには座ろうとしません。会社に掛かってきた電話も自分で取ってしまいます。
「復活できた理由は何ですか」と聞いても、「やれることだけを普通にやってきただけですよ」と、他人事のように淡々と語るだけです。しかし、その控えめな言葉とは裏腹に、中村さんのこの10年間は、運命の神様に翻弄され続けた、まるでドラマのような人生でした。
■ 突然の倒産劇
セキテックの前身「日型」が倒産したのは、今から7年前。マンションなどの外壁に使われる特殊なプレス機を作り、国内のシェアは6割を占めていました。しかし、景気低迷の中、新製品の開発に資金をつぎ込んだのが仇となり、負債が37億円に膨れ上がったのです。
倒産は109人の従業員にとって、まさに寝耳に水でした。3ヶ月先の注文が入っていたので、経営は苦しいと聞いていたものの、まさか破綻するとは思っていなかったのです。
「自分たちを必要としている取引先が、今もたくさんある。技術力もある。何とか再建したい。」という声が相次ぎました。倒産の4日後、従業員たちは「再建委員会」を設立。当時工場長で、部下からの信望が厚かった中村さんに委員長の白羽の矢が立ったのです。
■ 退社するはずが債権のリーダーに
ところが、中村さんはなかなか首を縦に振りません。実は、2ヶ月後に退社することが決まっていたのです。
話は、倒産の3年前にさかのぼります。中村さんは、悪性リンパ腫で倒れ、半年の闘病生活を余儀なくされました。職場復帰を果たすと、今度は妻の緑さんが進行性の胃ガンに侵され、亡くなりました。42歳の若さでした。
仕事一筋であまり家庭をかえりみることができなかった中村さんは、自分を責め続けました。3回忌を済ませたら、それを区切りに会社をやめ、しばらく2人の娘さんとゆっくりと過ごそうと思っていました。もし、倒産があと1週間遅ければ、有給休暇に入っていて、再建委員長を依頼されることはありませんでした。運命の神様のイタズラだったのでしょうか。
申し出を引き受ければ、家族で過ごす時間は削られてしまいます。しかし、長年同じ釜の飯を食べた部下たちの真剣な表情を目の当たりにすると、むげに断ることも出来ません。1週間後。悩み続けた中村さんの結論は、「再建できるかどうか、自信はないがやれるだけ、やってみよう」
■ 再建への長い道のり
その日から中村さんは、猛然と動き始めます。216社に上る取引先を一軒一軒訪ねて回り、会社再建のため、未払い金のうち8割をあきらめて欲しいと、お願いして回りました。
「工場が生きていれば仕事は入る。2割の債権は必ず半年後に支払う」と、何度も何度も頭を下げて頼み込みました。
その熱意が、取引先を動かします。
「中村さんの顔つきというか、目が本当に生きていました。不安もあったと思うけど、『技術には自信がある。きっと立て直すんだ』みたいな気合いが漲っていました。」
(ブラシメーカー 専務 米津岩夫さん)
■ 工場立ち退きのピンチ
倒産から半年、取引先の97%が債権放棄に同意し、会社再建への道筋が見えてきました。
ところが、その矢先、一通の書類が送られてきました。
そこには、メインバンクが担保として持っていた工場を、アメリカの債権回収会社に売却したと書かれていました。工場が使えなくなれば、再建は絶望的になります。しかし、工場を買い戻すには4億円が必要でした。中村さんは、金策に走り回りましたが、不況の中、そんな大金を貸してくれる所はありません。
明け渡し期限の日は刻々と迫ってきます。「もうダメか…」と、誰もが思ったその時、運命の神様が今度は微笑んでくれました。
20年来の付き合いがあった、ベルトコンベアーメーカーの社長が、「中村君、おたくの技術がなくなるのはもったいない。私が工場を買い戻そう」と申し出てくれたのです。
このメーカーが工場を貸すという形で操業が続けられることになり、中村さんは大きなピンチを凌いだのです。
「私どもの会社が長年、きちんとした製品を作り続けてきたという信頼があったからこそ、奇跡は起こったと思います。やれることを当たり前にやる。会社再建に特効薬はありません。」
■ 寡黙で堅実な人々の価値とは
新会社「セキテック」が再スタートして5年。今では、プレス機以外の分野にも乗りだしています。去年、2000万円の黒字を達成。今年4月には、これまで借りていた工場をついに買い戻し、名実共に再建に成功しました。
中村さんは言います。
「病気で倒れてから10年、本当にドラマみたいな人生を送ってきました。工場を買い戻すことができて、ようやく肩の荷が下りたような気がしますが、まだ辞めさせてくれそうにありません。後継者が育っていませんので。社長を辞めたら?そうですね、会社再建に追われて妻の遺品が、まだそのままなんです。そろそろきちんと整理したいですね」
黙々と、そして確実に仕事をこなしてきた日本の中小企業。ベンチャー育成も大事だけど、こんな人たちが元気になって欲しい、そう願わずにはいられません。
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